●「大事にしていた新聞キリヌキ」の続き

タイトルの「大事にしていた~」記事に関して少々補足を。

どうでもいいようなことなのだが、記事中で「連載の20回目まで全部ある」と書いたのはこちらの早合点で、実際には11番の記事が欠如しています。11番があるはずのページには、別の切り抜きが貼ってあったのです。五輪エンブレムじゃないけどなんか「お詫び」が続くな~。

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↑これが11番の代わりの記事。台紙の端に「週刊明星」とメモがあったから、多分そうなんだろうが明星っぽくない気もする。それともう一つ、

キリヌキの連載第1回記事中で紹介されていた著者、鈴木道子さんに関して少しネット上で調べている。今のところかなり古めの記事しか見つかっていないが、かんたんにまとめたモノは書けそうな気がする。折を見てアップしたいと思います。

 

逆立ちしても足元にも及ばない4つのブログ

その3つ目「一緒に歌える洋楽ブログ」

ダイア・ストレイツ「悲しきサルタン」(今となってはこのタイトルで行くっきゃない)をipodで聴いていてふと思った。歌詞の内容が少々知りたいと。で、ネットで探したらぶち当たったのがこのブログ。歌詞に関しては大体わかった。でもさらにちょっと歌ってみたくなった。そんな時(滅多にあるもんじゃないが)このブログはすごい協力者となる。4~5回トライしたろうか。いまでは「悲しきサルタン」を…なんて無謀なことは考えないが。

 たとえば「アメイジング・グレース」の項目をみると、これが強烈。歌った歌手やグループ、歌のない演奏だけのもの、ゾロゾロ出てくる。古い曲もかなり網羅されていて年代順に選曲できる。実際に聴けるものもかなりあるし、聴けなくてもレコードなどのデータが出ているので見つける足がかりになる、と洋楽ファンだったら押さえておいたほうが楽しみも増えるというもの。

今まで知りたいと思って検索してみたのが13曲。で、ヒットしたのが7曲と5割強。でも、ヒットした曲に関しては「12分に」有り余るほどの情報をもらってる。

前回紹介した「クラシック音楽夜話」、今回の「一緒に歌える洋楽ブログ」、ウィキペディア(音楽に関して調べたことはあまりないが、いつもお世話になってます)。これでセカンド、ショート、サードは万全だな。

丹念に調査する・謙虚である・そうやってコツコツと積み上げ(多分楽しみながら)てきた成果だろうと思う。姿勢見習うべし。

●一緒に歌える洋楽ブログ(またしてもFC2)

訂正とお詫び

●前回の「逆立ちしても…」のなかで紹介した「クラシック音楽夜話」ですが、これは購読していたメルマガのタイトルで、現在のブログタイトルは「Musikerの音楽夜話」です。お詫びするとともに訂正いたします。

●牟田貞三は間違いで、牟田悌三が正しい。失礼。

 

最後の(となるかどうか)一つはまたの機会に!

 

 

 

なんでも「捨てられない」症候群:4

大事にしていた新聞キリヌキ

東京新聞1960年初頭のキリヌキ。鈴木道子による20回連載。『音楽ゼミナール ジャズは流れる』。当時僕は中3くらい。時折耳にするラジオの影響で洋楽に興味シンシンだった。経済力もなく情報もきわめて少なかった。で、身近なところからってことで、当時家で購読していた「東京新聞」にコレが掲載され、飛びついたというワケ。

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何もかもが新鮮で「こんなのが欲しかったんだ」と熱読した。学業でこんなにも傍線を引いて繰り返し読み、暗記したらさぞかし…という風にことは進まない。

まずはミュージシャンの名前から

20回の連載は全部ある。写真の記事のカーメン・キャバレロローレンス・ウェルクから始まりフォスター、ハンディー、ルイ・アームストロング等々と続き、記事中には曲名、『スウィング・ジャーナル』などの資料、が続々と出てくる。「砂漠が水を吸い込むように」とにかく丸暗記していったと思ってください。

ところが実際の音楽が聴けない。コレには参りました。オヤジはクラシックのレコードしか持っていないし、そもそも自分でレコードなんてとても買えない。(どんなのが当時お店にあったのかもわからない)欲求不満は募るばかり。そこでラジオの登場なんであります。当時近所の大抵の家には、貧しくてもラジオだけはあった(ような気がする)。

記憶を掘り起こすのに、当時のラジオ番が入手できたらと思い、ちょっと探した。結果はNO。スルーして先へ進めることにする。きわめて雑だが油井正一ロミ山田大橋巨泉、牟田貞三らの語りと紹介で曲が流れた(名前、局、番組等々は思い出した順番)。なんと、聴いた曲名とミュージシャン名をメモして行ったのだから、我がことながら恐れ入る。

コンポでFMを聴きながら、好みの曲をエアチェックできるようになるまで、あと10年以上の年月が必要だった。

この先は次の機会に。

 

逆立ちしても足元にも及ばない4つのブログ

ブロガーは星の数ほどいるが…

すごい人っているものだ。僕がいままでネット上で出会ったブロガーのなかでも、特筆モノが4人いる、いや「いらっしゃる」。もちろんコチラの興味の対象となる分野限定でのことだが。飯食いながらスマホで撮ってピースサインなんぞやらかしてるミーハーとは世界が違う。好きな分野での薀蓄の深さ、守備範囲内での密度の濃さ。それにくわえて継続時間の長さと執念深さ(失礼!)は他の追随を許さない。

クラシック音楽のMusikerさん  

以前アメブロに投稿していたころに、その存在を知った。ブログタイトルは「クラシック音楽夜話」という。一時はメルマガも購読していたくらいだが、残念なことにこちらの興味ある部分しか熟読していない。フルコースを提供されているのに1~2品しか味わえない悲しさ痛感。一時期長期休養されていて健康状態が気がかりだった(多分若くないだろうから)が「FC2に引っ越します」との風の便り。

かなりのマニアだと思うが、僕が好意を持っているのは時折魅せるユーモアの趣味が良く、かつ人を批判や攻撃しないという点だ。専攻分野に詳しいという要素もさることながら「コレについて書いているのが楽しいのだ」的なスタンスがいいと思っている。うん、今夜あたりちょっと寄ってみるか。やってるといいな。

クラシック音楽夜話

http://musiker21.blog.fc2.com/blog-entry-400.html

 

探偵小説のチャプコロさん

まずその読書量(記事量)に圧倒される。タイトルには「探偵小説」と銘打ってあるが、他の色々なジャンルも入ってくる。「単なる好事家じゃないのだろうな。編集者なのかな。速読術をマスターしてるのかな。閉じこもり中年で読んで書き、読んで書きの毎日なのかな…」いろんなことをついつい想像してしまう。

ブログタイトルは「探偵小説三昧」という。読んだ作品についての文章が中央に、右カラムにはツリー状に、アップした古今東西の作家名がズラリと並んでいる。これがものすごい、すさまじい量なのだ。過去に読んでハッキリしたタイトルが出てこない、とか

このブログを見ればほとんど解決してしまう。ブログというより事典みたいな使い方をしている部分もある。そのくらい膨大な情報が詰まっているのだ。そして前述の「クラシック~」の著者と同じく相当執念深い。で、これまたFC2。

ブログ画面のデザインも凝っており、内容がズッシリと重いのでなおさら画面が効果を上げているように思える。本好きな方は一度訪問してみるといい。うん、今夜あたりちょっと寄ってみようかな。

●探偵小説三昧

http://chapcolo.blog97.fc2.com/

 

あとの二つは次回のこころなのだ!

 

菊池光の再来

◆『ペイパー・ドール』が売れた日

数日前、Amazonマーケットプレイスの歴下亭で『ペイパー・ドール』に買い手が付いた。しかも結構な高価格設定にもかかわらず、だ。中を点検しているうちに10数ページまで読み進んでしまった。で、ふと「え?こんなこと前にもあったような」気がして、その訳を追究してみた。なんせヒマは腐るほどあるんで。

アメブロに書いた記事を見つけた(一部変更)

*ディック・フランシス『再起』をオモシロく読ませてもらった。R・B・パーカー熱は再来することなく、ブロックのスカダーも絶えて久しい。「読書メモ」をひっくり返してみると、この<D・フランシス熱>には周期性があるようなのだ。インターヴァルは一定ではないが(それは周期性ではない?)今まで3度、集中的に読み漁ったとの記録が残っている。長期休養明けというわけだ。

*メモをもって書店や図書館に行くわけではないので、既読のモノを買ったり借りたりは珍しくない。時には途中まで読み進んで「あれ?これは…、この先こうなるんじゃなかったかな」と気づいたりすることもこれまたよくある。特にD・フランシスの場合はタイトルが全部漢字2文字であるため、記憶がどこかで入り混じってしまうのだ。でも、結局最後まで読まされてしまう。僕にとって、そこがほかの作家との圧倒的な差異なのだ。

*4度目(だと思う)の熱は『祝祭』から始まった。それから『拮抗』そして『再起』と来た。例によって書かれた順序は無視して手近かなものから、というスタンスは変わらない。が、ブランクの間に訳者が変わっていたことに、最初は気づかなかった。ディック・フランシスの名前と並んでフェリックス・フランシスの名前があることとその理由は承知していたのだが。「あとがき」にだったか、そのことが書かれていなければまだわからずじまいだったかもしれない。そのくらい訳者交代の違和感がないのだ。パーカーでもさんざんお世話になった訳者・菊池光さんにお礼と哀悼を。

*カタカナの表記等々多くの特徴をもった専属(?)訳者の文体。男性主人公の言動や細かなニュアンスを男性が翻訳するのと女性がするのとは、さまざまなところでムズカシさがあるかもしれない。「そうだ、京都へ行こう」じゃないけど、「そうだ、D・フランシスの冒頭部分だけを抜き出してみよう」と思いついたのも4度目の熱あたりからだ。書架に何冊かしかないのはわかっている。でも探すのがちょっと…というわけで、図書館に通い始めた。

*ディック・フランシスは「最初のフレーズができればもう完成したようなもんだ」と考えたかどうかしらないが、とにかく上手い。何作品かは読書ノートに書き出してあり、足りないところを図書館で、と考えたと思し召せ。ところが足立区の、特に我が家の近くの図書館には文庫も含めて7冊しかない。そのへんの愚痴はともかく、ブログネタとしてはいいかも、っつうわけで何回かにわけて書こうと<密かに、あくまで密かに>意欲をあおっているところです。仕事でもそうだけど「企画はいいんだよね」ってことにならないように、ならないように!!

*「シッド・ハレー」はどこかに飛んじゃったけど、おお神よ我にたっぷりの書く時間を与えたまえ!(2011年11月8日)

◆デジャヴューの元はこれだった

『ゴッドウルフの行方』から始まり、少々物足りなくなってきた最後の3~4作(多分)まで、新作を心待ちにして購入した。『失投』は文庫本が先に出たようにも記憶しているが定かでない。現在何冊残っているかもわからない。が原作→訳者のイメージがこれほど強烈に印象付けられ、固まってしまうのはあまり例がない(ブロックもちょっとそうだけど)気がする。

僕のなかで翻訳者(半ば著者と同列)菊池光が再来した、というお話でした。

なんでも「捨てられない」症候群:3

「コーナー」なるものによる被害

*パティ・ペイジのコンサート半券の左上と右下に見える、無残な傷跡。貼り付けて整理が進んだまではよかったのだが、10数年を経過してひどいことになってしまった。さいわい、プロ野球公式戦の半券は小さいものだったので、切手用のストックブックに入れておいて難を逃れた。けど、かなりの数がダメージを受けた。

*「コーナー」を貼り付けた糊の劣化、糊が溶け出してしみこみ、整理したと思っていた半券類の表面にベッタリと付着、はがそうとして紙の表面を薄く剥ぎ取ってしまった(右下の痕跡がそれ)。以降、スクラップブックはすべて廃棄し、箱保管にした。年代はわからないが透明ポケット式のアルバムみたいなのが発売され、やっと「傷つけない保管」が可能になったわけだ。「コーナー」の被害をこうむった半券の一部は↓。

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ルーブル」の角にもはっきりと見えないが「コーナー」の爪あとがある。「防衛博」には跡はついていない。ストックブックに残っていたものの一部だと思う。「コーナーちゃん」のことはもう、忘れよう。

 

なんでも「捨てられない」症候群:2

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たまたまパティ・ペイジ公演の半券を出した行きがかり上、ついでにその時のパンフレット、死亡記事も。後者のほうはまだ掲載されて2~3年しか経っていない。

ま、「なんでも捨てられない」ものの中にこんなのもあって、半券から半世紀が経過しても「ゴミ」は増え続けているということです。

*余談ですが、世の中ヘンな人がたくさんいて、単に「捨てられない」とかのダラけた動機ではなくはるかに整然と、その道をシッカリ生活につなげている達人もいます。

*15年ほど前のこと。新しいパソコンが欲しいのに金がない。「なんか金になりそうなものはないんだろうか」とネットで探していたら「紙モノコレクター」なる人の書き込みがあった。野球の半券の収集家とのことだった。「これは…もしかして…」と思い連絡を取った。

*そのころ持っていたプロ野球の試合の半券は、自分で観戦したものや息子が観にいったもの等々で100枚を超えていたと思う。かなり面倒な作業だったけど年月日・球場・対戦チーム名をリストにしてメールで送った。(なんてったってパソコン購入費用が出来るかもしれないんだから必死です)

*な、なんとBINGO!約8万円になったんです。詳細は当たり前だがおぼえていない。

概算で言うと約80枚はゴミ。合計で数百円。ビンゴ半券はこれまたおぼろげだが、大洋ホエールズにアメリカから来た選手のデビュー試合とか、いちいち思い出すことも不可能ながら、そういったある種「記念試合」的なゲームの半券。ここまではおぼえている。

*記録・調査・整理といった地道な作業がまったくダメ。「パソコンが買える」で、あとのことはもう記憶のはるか彼方に。長所か短所か、はたまた才能か単なるグズか?それは愚問というもんでしょ。と半ば自己嫌悪半ば自己肯定を(ほとんど肯定だけど)繰り返しつつ、ゴミ集めはまだまだ続くのこころだ!