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直近の「オモシロイ」をいくつか

最新の「オモシロイ」は芝村涼也

最新も最新、まだ湯気が立ってるくらい。なにしろ第3巻を読み終えたのがつい2時間前。『素浪人半四郎百鬼夜行(三)』で(一)を読み始めたのが火曜日(27日)の夕刻。仕事に行く途中で「なんかないかな~」と思い立ち、書店で手にしたのだがこれがヤバイことに。仕事の合間に読みつつ、約3日で3冊。ということはどうも読書で疲れたから小休止に仕事を…的な感じかな。

ちなみに(一)は『鬼溜まりの闇』(二)は『鬼心の刺客』。第零巻『狐嫁の列』があり、土日にでも街に出たら買おうと考えている。で、後から考えるとどんなところがどう面白かったのか、よくわからないのだ。あまり読まないタイプの小説だということ、同心や他の登場人物の伝法な物言いとか、魑魅魍魎のはなしとか確かにいい。でもその辺はさておき、「先へ、先へ」と引っ張られるように読み切ってしまうというか、読まされてしまい、仕事はおろか睡眠時間さえも惜しんでしまう。その「耽溺感」のようなもの、それは別の言葉でいうとやはり「オモシロイ!」しかないのではないか。

「買うの控えようかな」なんていう思いがチラッとかすめたりするが、それはかすめるだけ。

先月から「オモシロイ」のはフォイル

日曜日の夜、BSでやってる「刑事フォイル」が、最近では欠かさず観ている唯一の連続ドラマ。時代設定は第2次大戦の初期、ナチスドイツが周辺諸国を制圧し、その勢いでイギリスにも進攻し始めたころ。官・民・軍とも対岸の脅威に向いているなか、国内で起こる事件を(ああ、メンドクサイ)担当する警視正(といっても部下は2人)の話。

仕事難、食糧難、人材難…たまにドイツ軍の空襲があったりする。スパイだの地位を笠に着た金持ちの、まあ日本でもそんな感じだったろうと類推できるようなことだらけの環境での捜査活動。

オモシロイと感じたのは何よりもまず、抑えた画像。フォイルの静的な言動。映像的には派手な立ち合いはないが「鬼平犯科帳」など日本の時代劇に近い印象だ。灯火管制と蝋燭の明かりしかない時代の「薄暗さ」が共通項のような気がする。タイトルの音楽も抑えがきいていて、日本語吹き替えの声もまたうまく溶け合って違和感がない。

前・後編に分けてあるができれば一話通しで観たい。録画で一度に、というのもありかとは思うが、なにしろ待てないので。

余談になるが『刑事フォイル』第1話は、これもBSの『映像の世紀』(こっちも好み)でちょうどヒトラー政権が誕生したころの映像を流していたのと前後していたので、余計に印象が強かったのかもしれない。エンドロールの「ホロヴィッツ」という名前も気になる。

YouTubeで麻雀の対局を見るようになった

アナ・ヴィドヴィッチ、アリス=サラ=オット、沖仁などなど

Windows 10コノヤロー!

などなど「最近のオモシロイ」「最近のナルホド」がほかにもいくつかあるのだが、次回以降に。

 

 

 

オモシロくてかつナルホドなのは内田樹

『ためらいの倫理学』再々再々読。拾い読みだけど

◇座右の書というのがあるが、僕の場合は「座左」。左利きだからではなく、書架はデスクの左手に配してあり、そこから左手で取り出すからというだけのこと。

◇ここ数年で一番手にしているのはこの本。時々思い出したように、開く。大抵は20~30ページくらいしか読まない。待ち合わせのときとか長く電車に乗るときとか。先週はフランシス親子の『矜持』を読んでいる途中で。常時バッグに入れて外出時に取り出して読む➡傷みが早いということになり、今やこの初版本はボロボロ。そろそろ家で読むためにもう1冊…と思っているところだ。

 ◇オモシロイのはまず語り口。この本は氏のデビュー作。出版されることを前提にして書いたものではなく、もとはホームページに、せいぜい百人程度の「身内」の読者を想定して書かれたものだと、「まえがき」で表明している。ナルホド、この語り口は…そういう経緯だったのか、と後で知った(前書きから読む習慣がないので)。ちなみに「拾い読みだけど」との見出しはそのまんまで、数ページのエッセイ的な作品の寄せ集めだから、どこからでも問題なく読める、イコール「拾い読み」となるわけだ。

◇ところで、このタイトル(大見出し)に関して、僕はもう7~8回トライしている。書きかけてはやめ、また書こうとして断念…の繰り返し。なぜかというと、連続して発せられる氏の言葉(文章だけど)のなかから、アフォリズムみたいに凝縮された部分を抜き書きするのは不可能なのだ。「ここ、いいな」と思われる部分を引っ張り出して紹介しようとすると、たとえば「古だぬきは戦争について語らない」は12ページのボリュームだが、そのなかの10ページ強を書き出さなくてはならない。

◇それをやったら一冊の本をほぼ入力することになり、「オモシロくてナルホド」なんてどこかにぶっ飛んでしまう。ま、写経と思えばいいのかもしれないが、その境地には死ぬまで達することはないだろう。

◇だから、一か所だけ引用することにした。本の冒頭の「古だぬきは…」の部分だけだが、読み始めにこれが出てきたことで「おっ、行けるんじゃない」と感じたわけで、ほかにもそういう人はいると思う。

◇以下引用。

<アメリカの高校生だってユーゴの戦争についての知識は私とどっこいのはずである。それにもかかわらず、彼らはあるいは空爆に決然と賛成し、あるいは決然と反対するらしい。なぜそういうことができるのか。…たぶんそれは「よく分からない」ことについても「よく分からない」と言うやつは知性に欠けているとみなしてよいと、教え込まれているからである。…反対側から言えば、ある種の知的努力さえすれば、どんな複雑な紛争についても、その理非曲直をきっぱり判定できるような俯瞰的視点に達しうる、と彼らは信じている。だからこそ、どんな問題についてもつねに「きっぱりした」態度をとることが強く推奨されるのである。アメリカではそれは十分な「知的努力」を行ったことのしるしであり、そうすれば「賢く」みえるということをみんな知っているからである。…これは私に言わせれば、かなり特異な信憑の形態である。民族誌的奇習と言ってもいい。…こういうものを「グローバル・スタンダード」だと言い募る人に私は強い不信の念を禁じ得ない…具体的にいま戦われている戦争について、それを俯瞰するような上空飛行的視点がありうるのだろうか? その戦争に対して、どう判断し、どうかかわるべきかを教えてくれるような知的なポジションというのはありうるのだろうか?…私はそんなものはないと思う…>引用ここまで!もういやだ。

◇文庫本の20行弱で、もう疲れてしまった。なのにこれだけでは僕がオモシロイ、と感じたことの8割は理解されないだろう。宣伝をしてくれと頼まれたわけじゃなし、別に~とは思うけど、なんか展開がオモシロクない。

◇少々イラついたままやめるのは業腹なんだけど、思い切って終わりにする。全編を何度か読んでなおかつ「また読もう」とするくらいオモシロくてナルホドな内田樹の本があるよ(そうでないのもあったけど)ということで、強制終了。

 

 

 

「音楽本」大好き:1

「音楽好き」だけど「音楽に関する本」も捨てがたい。けど…

◆古市やBO、街の古書店などで本を物色するのが楽しみの一つだ。いや、麻雀を除けば唯一最大と言ってもいいかも。興味のジャンルは多岐にわたるが、理系はかなり少ない。特に「音楽関連本」にはついつい手が出てしまう。

◆音楽は作曲家や演奏者の事典、歴史を除けば(楽器の歴史等もオモシロイ)、百人百様の感想や解釈がありうるだろうし、評する対象を表現するのが「言葉」だけでしかないから、なおさらヤッカイなことになってくる。そこんとこがまた、オモシロイのだ。

◆誰でもなんとでも、書きたいように書ける。以前チョン・キョン・ファのメンデルスゾーン「ヴァイオリン協奏曲」を聴きながら「これは細腕繁盛記だな」と言った人がいたが(僕ですけど)そういうのも大有りだと思う。

◆前回書いた記事の取っ掛かりも、音楽関連書だった。何度か新聞の切り抜きを紹介した(まだ続きますが)ネタもやはり音楽関連。『すべては音楽から始まる』という本もあったみたいだが、これは持っていないし読んでもいない。内容のかけらも知らないが、なんだか「ちょっと読んでみようかな」なんて思わせるタイトルだ。

このテの本にはくれぐれもご注意

◆以前アメブロにも似たようなことを書いたが、僕は大きな本屋や古本屋に行ったら、大抵は音楽関係と美術関係の島に寄ります。10回行って1回くらいしか買わないけど、とにかく時間を忘れるコーナー>であることは確か。置いてある本は高価なものが多いから「あっ、これ欲しい」は毎回。でも中身をざっと見てガマンしちゃう。中でも音楽関係、特に音楽CD(レコードも)紹介の本、なんであんなに多いのかいつも不思議に思う。

◆業界のことには興味ないが、「これを聴け」「私の名盤」「入門××」「ここが聴きどころ」「ナントカカントカ決定盤」等々新刊・旧刊あわせてどれだけあるんだろうか。特にJAZZ関連はイヤというくらい多い。それも同じ人が手を変え品を変えよくもマアって感じ。誤解を恐れずに言えば、ほとんど使いまわしや焼き直しでしょ。そのうち暇なときどれだけダブってるか検証してみたいと思ってる。

◆おまけにヤフオクなんか見てると「○○氏の本で紹介」なんて惹句に使われたりもしている。「○○が本で取り上げた?だからなんなんだヨ」と思わず毒づきたくなってしまう。耳から入る前に頭から(知識から)入る。音楽を聴いた感想はうまく表現できないけど、本に書いてあった周辺情報は薀蓄として披露できる。予備知識なしで手当たり次第にCDを買って失敗(?)するのがこわい。無駄なお金を遣わず効率よくマニアになりたい(マニアぶりたい)。そんなトコなのかな。

◆そういえばエッチ関係本でも同じような傾向ってあるような、ないような。マ、商売だから仕方ないか。林家三平だって(ちょっと例えが古いけど)飽きもせずおんなじネタやってて今じゃ「伝説の噺家」みたいに祭り上げられちゃうくらいだから。(当代の三平はもっとひどい。見てるほうが恥ずかしくなる)テレビ的にはOKなんだろうけど。

◆薀蓄をかたむけるときは、くれぐれも周囲にご注意を。もっとすごい人が聞いてるかもしれませんよ。

 

 

 

 

 

 

こういうのってオモシロイ

偶然なのか、はたまた…

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◆毎週木・金は週刊誌の宣伝物制作の仕事をしている。雑誌発売日の朝刊の下部に掲載される広告。事件が起きて記事が差し替えになると、宣伝物の内容も連動して変更になる。先週末は「川島なお美の訃報」がそう。

◆先週の場合は、すでに別の内容の川島なお美の記事があり、その部分の差し替えだったから大事に至らず(大事になったほうが雑誌としてはウェルカムなんだが)、夕刻には作業完了となった。と、ここまではイントロ。

◆月の半分くらいかな、帰宅途中でBOOK OFFに立ち寄るのは。興味をそそられる、メモに書かれている、「あっ、これは…」とおもう本などを、将来性と価格を吟味して購入するのが習慣になっている。で、今回買ったのが上の写真。

◆夕食後パラパラと読むというか見るというか、を始めるのだが「活字ビッシリ文字だらけ」でないこともあって、思いのほか進んでしまった。で栞代わりになにか…とおもって探すとはさまれていたのが下の写真「新刊案内」。その中の川島なお美の著書。内容的には興味なしだが写真入りだ。

◆いやおうなしに数時間前に差し替えた記事「ガン急逝・川島なお美」を思い出してしまう。買った本の発行日は平成23年、4年前だ。本はUSEDで、新刊案内などは読む上で邪魔になるから大体は捨てる。売った人が挟んでおいたからこそ、僕の手元にやってきた。

◆4年間捨てられずに本にはさんであったチラシ、その新刊案内に載っている川島なお美の元気そうな笑顔の写真、4年後の数時間前に差し替えた川島なお美の死亡記事、その作業を終えた帰り道の古書店でのたった1冊の本の購入。これらを一本の線で結んでみても「偶然性」以外にキーワードは見つからない。ロートレアモンまっ青ではないか。

で、タイトルの「こういうのってオモシロイ」となるわけだ。

大事にしていた新聞キリヌキ

「大事にしていた新聞キリヌキ」2

人生の仮免どころか、まだテキストもなく試験勉強も始めていない中学生。配達される新聞の記事なんぞ見向きもしなかったのが、洋楽への興味から少しずつ変化していく。時事には無関心だったが切り抜き・スクラップを中心に「文化欄」なんかも読むようになる。特に洋楽関連の記事は見逃さなかった(のだとおもう)。

 

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とにかく時間だけはタップリあった。だから興味の「指針」が指し示す方向にあると思えるものは、片っ端から「広辞苑」「研究社英和辞典」を引いたりしながらメモをとり、蓄積していった。(約半世紀が経過してもまだ似たようなことをやってる! 進歩してねーな)誰に強制されたわけでもないのに、ただそうしているのが楽しかったのだと思う。

「切り抜き」からは離れ、記憶の時間差もあるが、JAZZミュージシャンの名前を英和辞典で引いて遊んだりもした。これが結構オモシロかった。また、神保町までは家の前から都バスで1本だったので、古本街なんかへも時折遠征した。何かを購入した記憶はない。近所にも古本屋はあるにはあったが、興味を惹かれるものがほとんどなく1~2度でパス。

 

切り抜きの中で、傍線がひいてある部分は事典などで調べ、書き取ったもの(のような気がするが、定かでない)。

 

 

 

逆立ちしても足元にも及ばないブログ。最後の一つ

 

『麻雀本を斬る!』が最後のひとつ

ジャンルを特化して、専門的な知識や技術について書かれているブログ。かなりマニアックな内容で、ある分野に造詣が深く、密度も非常に濃いブログ、「逆立ちしても足元にも及ばない」そうしたブログがアメブロから離脱しつつあるようだ。ほんの4~5 例しか知らないが、あながち的外れな指摘ではないように思う。

 

「逆立ちしても…」のタイトルで過去に紹介した三つのブログ、そして今回の『麻雀本を斬る!』というタイトルのブログもその例に漏れない。『Musikerの音楽夜話』などと同じくアメブロからの引越し組だ。こちらも落ち着き先はFC2ブログ

 

僕自身もおそらくは(細部は異なるだろうが)似たような印象、不満等々が原因で当「はてブロ」に腰を据えようとしているわけだから、勝手な推測だがわかるような気がするのであります。

 

で、ブログ『麻雀本を斬る!』だが、とにかく手放しでス・ゴ・イ!!。僕自身はフリーで時々、ネットで年中(ここ2年ほどもっぱら丸雀)打っていて、麻雀関連本もかなり読んで(持って)いる。けど、たまにブログを訪問しても、あまりのマニアックというか細かさというかに、オモシロイんだけど長く読んでいられない。あくまで紙メディア~活字派の人間としては、疲れてしまう。でも、たまには「最近どんなの書いてるかな」とドアを開けてしまう。ま、興味を惹かれた方は寄ってみてください。紹介者は不要ですから。

【何切る?】 問853 ~ 857 - 麻雀本を斬る!麻雀ゲームを斬る!!

 

 

 

 

 

 

 

 

http://bookmj.blog.fc2.com/

「菊池光」記事関連で追加

これだけは付け加えておきたい<装幀>のこと

ロバート・B・パーカー著、菊池光訳のスペンサーシリーズについて、ちょっと前に触れた。翻訳の、特に会話が絶妙だという話だった。書き終えてすぐに本棚や押入れをかきまわしたら、7冊出てきた。

 

並べてみるとまさに壮観。読む前からオモシロさが伝達されるかのような、ブックデザインだ。辰巳四郎さんの手によるもので、「このことは付け加えておかなければ失礼に当たるナ」と思い加筆した次第。

 

日本語版(ハヤカワの)単行本は、パーカー+菊池光+辰巳四郎でワンセット、と言ってよいでしょう。特に『ゴッドウルフ~』からの読者にとって。

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